寝室からほぼ出ることがなく、一日を過ごしているので、水彩にはまっていた時期には、いろいろな花を絶やさないようにしていました(花の絵を描くため)。
現在は、昼の間はリビングまで移動し(と、いっても壁に伝わり歩きして数歩ですが)、一日の大半はここで暮らしています。だから寝室に花を飾ることはやめて、おばあちゃんは自分のパッチワーク作品を飾っていました。
春の間、飾っていた作品『森の言葉』
夏に飾っている作品『黎明の空』
そろそろ秋ですが、この作品が、寝室を訪れるリハビリの方や訪問看護の先生に褒められたので、とうぶん、これが飾られることでしょう。
ところで、おばあちゃんの布を販売し始めて、「パッチワーク」って何?と聞かれましたので、少しお話をしていきたいと思います。
§1. 歴史 1
何事もまずはその歴史から語るのがよいかと思いますが、実際のところ、パッチワークの歴史の最初はあまりわかっていないのです。1903年に発掘されたエジプト第一王朝時代のファラオの彫刻で、王はマントを着ていて、マントには菱型の模様があります。この模様が凹凸が大きく彫られていることと、その模様から、マントはキルティングであるとされています。彫刻は紀元前3400年頃のものなので、キルティングは6000千年も前から存在していたことになります。
キルト(quilt)の語源はラテン語のculcita(またはculcitra)で羊毛や羽毛が詰められた布団という意味です。2枚の布で羊毛などをはさみ、縫い合わせたものが最初です。
§2. キルティング・ビー
歴史について・・・たとえば、現存する最古のキルトなどお話は、大量にあるキルトの本などからもう少し調べてまとめるとして、今回は、おばあちゃんがせっせと集めていたヴィンテージの布とキルティング・ビーについてお話します。
18世紀後半にアメリカがイギリスから独立し、アメリカ合衆国が生まれた頃から、少しづつ産業が発展してきました。産業が盛んになると、様々な布が作られるようになりました。布が豊富になり、キルティングが盛んになり、キルティング・ビーという女性の集まりが開かれるようになりました。ここでは、大作を数名で仕上げるということが行われていたと同時に、社交の場でもありました。
豊富といっても布をたくさん買うことは難しく、この頃にフィードサック(feedsack)と呼ばれる布が流行しました。フィードサックとは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のことです。日本だと無地の袋が主流ですが、 特に1930年代~50年代には華やかなプリントのものが出回っていました。究極のリサイクルですね。この柄がとてもポップで、おばあちゃんもたくさん集めていました。
さて、キルティング・ビーの話の戻ります。19世紀に入り、キルティング・ビーはいろいろな場所で行われるようになり、女性たちはみな、スクラップバッグを持っていました。パッチワークをする人にとって、端切れは絵を描く人の絵具に等しく、いろいろなものが欲しいわけです。スクラップバッグには端切れがたくさん貯められていて、キルティング・ビーで出た端切れを分け合って持ち帰ったり、自分の端切れを交換したりしました。やがて、それぞれが考えたパッチワークのパターンなどもここから広まったとされています。
わたしが思うに、パッチワークが好きな人は布が好きな人なんですね。おばあちゃんがフォローしている、アメリカのYouTuberの女性は「ゴミ箱」に大量に貯めた端切れでクレージーキルトを作っていました。おばあちゃんは、その「ゴミ箱」が欲しいと言っていました。しかし、おばあちゃんも、その女性に負けないくらいの端切れを持っているはずなんですが。
おばあちゃんは「ウェディングキルト」も作っていました。白だけで作るキルトです。色合わせが楽しかったおばあちゃんには、あまり楽しい作品ではなかったようです。ウェディングキルトもキルティング・ビーから生まれました。
「嫁入りには13枚のキルトが必要」という風習が生まれ、若い娘たちはせっせと針仕事にいそしみました。「21歳までに仕上げられなければ、その男と結婚することはできないだろう」ということわざもあります。それで、娘たちは十代のうちに12枚のキルトを仕上げました。そして13枚目のキルトは白一色でハート型のデザインのあるキルト。これをキルティング・ビーで仕上げることで、婚約の報告にもなりました。この13枚目のキルトが、後のウェディングキルトなのです。
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